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あなたの魅力を引き出すインタビュアー

はにわさとしのプロフィール

 

【幼少期】
 生まれたのは1974(昭和49)年4月15日、神奈川県の茅ヶ崎市立病院で産声をあげました。水道屋の父と看護師の母、2歳上の姉と僕の4人家族で、いつも姉の後ろにくっついて行くような子供だったそうです。

 

【小学生時代】
 小学生の頃でよく覚えているのが、時刻表が大好きだったことです。「無人島にひとつだけ持ち物を持っていけるなら何にする?」という質問にも「時刻表を持っていく」と答えていたのを思い出します。

 

 時刻表の何が魅力的かと言えば、巻頭に全国の鉄道路線図があって、日本中の国鉄の駅が網羅されているだけでなく、全ての路線がどのくらいの頻度で運行され、どの駅でどの路線に乗り換えれば、地元の神奈川県茅ヶ崎市から横浜や東京、ひいては親戚の住む宮城県まで行けるか、ということまで調べられたこと。

 

 時刻表と同じくらい好きだったのが地図です。時刻表に乗っている地図は、鉄道路線図なので縮尺や方角が適当なのですが、地図はすべてが正確なので、地図を見ていると時刻表を眺めるのと同じかそれ以上に旅行気分に浸ることができました。

 

【中学校時代】
 大学の付属校に入学して、自宅から片道1時間半近くかけて電車通学していたのですが、はじめは毎日電車に乗れることや「定期券」を持つことができて、大満足だったのを覚えています。

 

 地元の茅ヶ崎には東海道線と相模線の2つの路線しか走っていませんでしたが、乗換駅の横浜には東海道線のほかに京浜東北線、横須賀線、相鉄線、東急東横線、京浜急行線、横浜市営地下鉄などたくさんの列車を見ることができ、幸せだったのを覚えています。

 

【高校時代】
 地図・時刻表・鉄道好きは変わらずに、毎日そのいずれかを見る日々でした。また、周囲に海外旅行に行く人がいた場合には、英語や現地の言葉で書かれた地図をお土産に買ってきて貰っていました。両親がロサンゼルスに行った時には、「ロサンゼルス郡」の区分地図を何パターンも買ってきてもらい、書店で見つけたヨーロッパの鉄道時刻表も愛読書でした。

 

 そんな頃、初めて海外旅行をする機会が突然訪れました。家族で年末年始にシンガポールとマレーシアに行くことになったのです。横浜のパスポートセンターに申請手続きに行った時のことは今でも忘れられません。申請から1週間後に取りに行ったとき「これで本当に海外に行ける」と小躍りしたいくらい嬉しかったです。

 

 成田空港から7時間ほどのシンガポールは赤道直下の熱帯の国で、気候や風土、食べ物に習慣など何から何まで目新しく、一瞬一瞬が驚きの連続で、それまで自分がいかに狭い世界に生きていたか、ということを痛感すると同時に、大学生になったらアルバイトでお金を貯めて「海外旅行しまくる」と心に決めました。

 

【大学時代】
 時間もお金も高校生とは比較にならないくらい自由にになった大学時代は、アルバイトをしては海外を旅する、という繰り返しでした。たくさんの場所でたくさんの人と出会うなか、20年経った今でも親交を温め合うことの出来ている香港人の友達ができたことは本当に幸せなことで、旅に出たからこそ知り合えたと心の底から感謝したいと思っています。

 

 旅行の唯一の国家資格である一般旅行業務取扱主任者試験にもラッキーなことに1度目の受験で運良く合格。受験会場の入口で「ツアコンになりたい人のための学校」のチラシを配っていました。

 

 その学校に連絡してみると「主任者の資格を持っているなら、いくつかの講座を受けるだけで、ツアコンできるように取り計らいますよ」という親切な申し出を受け、2ヶ月後からは実際にツアコンとして仕事をさせてもらえるようになりました。

 

 はじめは、日帰りバスツアーの添乗でしたが、次第に1泊2日のバスツアーや鉄道旅行、飛行機を利用した九州旅行など徐々に仕事の内容が充実してきて、修学旅行の添乗や老人会の慰安旅行などさまざまな場所に行かせてもらえるようにもなりました。

 

 さらに、ツアコンの学校から紹介してもらった世田谷区の派遣会社に登録してからは、夢だった海外旅行の添乗も任せられ「こんなに早く夢が実現しちゃって良いのかなあ」と驚いたのを思い出します。

 

【社会人になってから】
 大学卒業後は、プログラマーとしてソフトウェアの会社に就職。数年間働いて貯めたお金で26歳の時にアメリカへ語学留学し、ロサンゼルス郊外の町で1年ほど生活。

 

 EL CAMINO COLLEGEというコミュニティーカレーッジ(日本の短大に相当)に通いました。帰国後には語学の資格を活かして横浜の通関業者に就職、会社と港と税関を行き来する忙しい毎日を過ごしていました。

 

 32歳になったとき、文章を書く事が好きだったので「ライターや記者として新聞社や出版社に転職したい」との考えから1年間専門学校に通い、文章の書き方や写真の撮り方などを勉強。33歳で新聞記者になってからは8年以上にわたり、延べ1,000人以上の人に取材する機会に恵まれました。

 

【インタビュアーとして起業・独立】
 新聞記者を定年まで続けることもできたのですが、記者時代にたくさんの素晴らしい方々のお話を聞く機会に恵まれ、次第に「インタビュアー、ライター、カメラマンの3役を1人でこなせば、もしかしたら独立できるのではないか」と思うようになり、起業塾に通い始めました。ありがたいことに1年を経たずして開業まで漕ぎ着け、現在に至っています。

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