どれだけ相手の喜ぶことをしてあげられるか・蔦和明さん〜人間力インタビュー〜

2016.07.19 (火)
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〜どれだけ相手の喜ぶことをしてあげられるか〜
株式会社sils代表取締役・蔦和明さん

 

 2015年11月に株式会社silsを立ち上げ、主に柔道整復師向けに接骨院の開業をトータルサポートしている蔦和明さん。

 

 会社名には「書き記す(シルス)」「道標」などの意味や、光のない大海原に飛び込んでいくような“開業”という転機に、「光を一緒に探していきましょう」という想いを込めている。

 

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 柔道整復師とは昔から「ほねつぎ」「接骨師」として広く知られ、現在ではケガやスポーツなどの損傷に対して、手術や薬を使わずリハビリテーションなどで回復させた上で、快適な生活を送れるように導く専門家のこと。

 

 柔道整復師法では「生業として柔道整復を行うことができる国家資格を持つもの」と規定されており、接骨院・独立開業はもちろん、スポーツトレーナーから医療・介護施設まで活躍の場は広がっている。

 

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 silsではそんな柔道整復師が接骨院を開業するのに、「物理療法機械の販売」から「物理療法の啓蒙活動」「ホームページ作成」、「売上管理システムの販売」に至るまで、トータルサポートを展開。このうち、特に力を入れているのが「物理療法の啓蒙活動」だ。

 

 損傷した組織を回復させる治療法(後療法)は「運動療法」「手技療法」「物理療法」の3療法で構成されているが、いわゆるリハビリと呼ばれる「運動療法」や、患者の体を押したり揉んだりする「手技療法」は世間的によく知られ、治療の現場でも重んじられているという。

 

 一方で、低周波や超音波の機器などを使用して患部を治療する物理療法に関しては、電気療法や光線療法、温熱療法など様々な種類があるなかで「本が出版されているものの内容が難しく、柔道整復師の専門学校でも(運動療法や手技療法に比べ)あまり時間を割いていない」という。

 

 結果として、柔道整復師の資格を取得しても「物理療法の機械を使いこなすのに十分な知識や経験を得ることが難しい状況」と蔦さんは指摘する。

 

 そこで、運動療法や手技療法と同じく、物理療法を世の中に伝えることも事業の柱の一つとして掲げているのだ。

 

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 しかし、そもそも蔦さんはなぜ物理療法に明るいのだろうか?

 

 それには蔦さんの半生を紐解いていく必要がある。

 

 1981年5月に千葉県佐倉市で産声をあげた蔦さん。両親と兄のごく普通の家庭に育った彼は、幼稚園の頃からわんぱくな少年で、小学校に入ってからはガキ大将的な存在。

 

 小学校2年生からは友達と一緒に野球を始め、卒業するまでは練習に試合にと野球三昧の楽しい日々を送った。

 

 中学でも野球部に入ったが、1年生の夏に事件が起こる。雨の日に練習をしないで遊んでいたのを顧問に見つかったのだ。それから1ヶ月ほど練習させてもらえず、ひたすら草むしりの日々。それが原因で熱中症になってしまったのを機に退部して、兄がやっていた軟式テニス部に転部した。

 

 軟式テニス部では市大会で優勝するなど活躍したが、心の中ではずっと「もう一度野球をやりたい」と思い続け、高校は千葉県内のみならず全国的に野球の強豪として名を馳せていた学校に進学。

 

 当然のことながら、甲子園出場を目指すような野球部に、中学時代にテニスをしていた蔦さんがすぐに活躍できるような場所はなかった。周囲には野球のエリートとして選りすぐりの選手たちがおり、誰もが「チーム内の競争に打ち勝って、レギュラー入りしたい」と願っているような環境だった。

 

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 しかし、蔦さんの一番の目標は「(中学時代に辞めてしまった)野球を、高校では3年間全うすること」で、ベンチ入りは夢物語と考えていた。

 

 同時にレギュラー争いのピリピリした雰囲気については「技術があれば(レギュラーに)選ばれる。自分と比較して周りがどうこうとか、そういうことではないのでは?」と客観的な視線で見ていたという。

 

 この頃から「自分は周りと考え方が少し違う」と気付いていたという。

 

 小学生の頃から、困った子がいたら「大丈夫?どうしたの?」と声をかけるような子どもで、裏表のない性格だった蔦さん。野球部でも誰もが自分のレギュラー入りを一番に考えるなかで、周りのことやチーム全体のことを考える部員だった。

 

 練習中に誰よりも大きな声を出し、何か困りごとがあったら率先して手助けする。そんな日々の積み重ねが実を結ぶ日が来る。高校3年になり、なんと蔦さんがベンチ入りメンバーに名を連ねたのだ。

 

 選考理由について監督からは「(チームのために、相手のために)一生懸命やってたから。声も出すし、人のためにやっているから」と言われ、蔦さんは「(一生懸命やっていれば)見てる人は見てくれている」ということを体験した。

 

  「心技体。心がないものに真実、本物はないという気持ちになった」と当時を振り返る。この経験こそが、現在の蔦さんを形成する上でのターニングポイントになっていると言える。

 

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 高校卒業後、エスカレーター式に進学した大学では経営学を専攻。4年間にわたって学生生活を楽しんだのち、「営業の仕事をしたい」と考えて就職活動を展開。携帯電話大手・ソフトバンクの代理店で働くこととなった。

 

 すると入社3ヶ月で店長を任されるほど優秀だった蔦さんだが、ここではじめて挫折を味わうことになる。

 

 店長就任から半年、ある日出社すると10人ほどの従業員が誰一人いない。全員が一度に退職したのだ。

 

 「すぐに店長に選ばれ、自分は仕事ができると勘違いしていた。今思えば(人の下で働いた経験のなかったこともあり)従業員のことを考えていなかった。当時は何が起きたのか全く理解できなかった」と語る蔦さん。

 

 それから店長職を3年ほど続けたが、もともと営業職を希望していた彼は「商圏の限られる店舗という箱の中での販売職に限界を感じていた」ことから転職を決意。25歳だった。

 

 そこでたまたま入社したのが、物理療法の機械を製造するメーカー。当時は柔道整復師のことなど全く知らなかった。

 

 入社後は営業として、中継ぎである販売会社の担当者とともにエンドユーザーである顧客を回る日々で、まさに思い描いていた仕事だと感じた。

 

 営業職は毎日多くの人に会ういわば一期一会の仕事。新しい出会いがあるたびに「どんな人なんだろう」と興味が湧いてくる蔦さんは、水を得た魚のように生き生きした日々を送り始める。

 

 営業は「数字(販売成績)を気にしたり、押し売りしたりというスタンスではやっていなかった。どれだけ相手のことを考えられるかを気にしていた」という蔦さん。

 

 顧客の一人ひとりにドラマがある。お手伝いができて、その方の成果につながれば、自分も嬉しいし相手も喜ぶ。「相手の気持ちをどれだけ考えられたか、役に立てたか、それが出来れば仕事は成立する」という信念を持っており、営業成績もトップクラスだった。

 

 ところが、仕事をやり続けるうち、メーカー・販売会社・顧客の関係性が煩雑に思えるようになってきた。

 

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 通常、メーカーが製造した製品は、一度販売会社に卸され、エンドユーザーには販売会社から納品される、という手順が踏まれる。当然のことながら、メーカーが直接エンドユーザーと取引することは許されない。

 

 そこで蔦さんは「メーカーとしての(機械の)知識を持った販売会社を設立すればエンドユーザーと取引ができるし、起業独立も上手くいくのではないだろうか」と考え、ある決断をする。30歳だった。

 

 柔道整復師になるための専門学校(夜間)へ入学したのだ。卒業後には独立することも決めていた。

 

 専門学校へ入学することにより、これまで体得したメーカーの知識、販売会社としての仕事のやり方に加え、実際に接骨院を開業するのに必要な技術なども学ぶことができた蔦さんは、誰にも真似できない武器を手にすることとなる。

 

 営業成績も良かったことから、定時で退社することに大きな反発もなく、専門学校に3年間通い続け、2015年には晴れて柔道整復師の資格を取得。メーカーも円満に退社し、昨年秋の株式会社sils設立後には、そのメーカーから物理療法の機械を仕入れるなど取引をスタートさせた。

 
 
 「今の仕事はどんなところが楽しいですか?」と聞いてみた。

 

 すると「開業支援という人生一度のイベントに立ち会うことができる」という答えが返ってきた。

 

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 「今までは(接骨院の開業に関して)開業者の利益を考えてサポートできる会社がなかったと思うし、開業者も経営の知識がなかった。私は(開業という)人生一回の船出に、利益優先やその場限りの営業ではない、本当の意味でのお手伝いができることが強みであり、楽しくもあります」とのこと。

 

 「世の中は利益を求めて仕事をしている。当然だと思うが、利益をモチベーションにするのはつまらない。お金は後からついてくるもの。だから価格重視のお客様をお断りすることもあるが、本当に役立つことを提供していきたいという強い気持ちがある」のだ。

 

 そこまで言い切るのは、高校時代やメーカー時代に「人とぶつかったとしても、間違ったことをしなければ、人生は正しい方向に進んでいく」という経験をしているからだ。

 

 だからこそ、蔦さんにはブレない強さや芯がある。

 

 「こんにちは、ありがとう、ごめんなさい」がきちんと言える人であるかどうか、それがとても大切なことだと言う蔦さん。10年後はどうなっているのだろうか?

 

 「人格形成期は過ぎたので、このまま事業が進んでさらに人の役に立ちたいという気持ちが強い。その気持ちを持ち続けていれば10年後も大丈夫」と言い、仕事に関する不安感はゼロだという。

 

 最後に仕事のモチベーションについて聞いてみると、「仕事を仕事と思っていない。ストーリーの決まっていない楽しいゲームをやっている感覚。自分の意思次第で違うドラマが生まれるので、楽しいの一言しかない」のだとか。

 

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 こんなサポーターに出会える接骨院の開業者は、大船に乗ったつもりで独立企業という大海原に飛び込んでいけるはずだ。

 

 「暗い海で一緒に光を探していきましょう」という強い想い、そしてメーカー、販社、柔道整復師の全てに精通し、人の役に立ちたいという理念を持ったナビゲーターと歩んでいけるのだから。

 

 今後の蔦和明の活躍から目が離せない。

 

【蔦和明(つた・かずあき)】
▽生年月日:1981年5月25日
▽血液型:A型
▽出身地:千葉県佐倉市
▽出身校:東海大学政治経済学部経営学科
▽家族構成:父、母、兄
▽趣味:ゴルフ
▽好きな休日の過ごし方:撮り溜めたテレビドラマ鑑賞
▽Facebook:https://www.facebook.com/kazuaki.tsuta

 

【株式会社sils(シルス)】
▽所在地:〒111-0053 東京都台東区浅草橋3-6-1
▽電話:090-6474-8833
▽メール:info@sils.co.jp
▽HP:http://www.sils.co.jp/

 

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